次の文は、1995年にアフリカ平和再建委員会機関誌『アマホロ』vol9に寄稿し、その後、神戸山手
女子中学高等学校『けんしゅう』23に転載していただいたものである。
 トップ・ページのナイロビでの写真は、この2年後に訪れたとき、ナイロビに寄ったときのもので
ある。そのときのことも、『アマホロ』に報告した。そのことも後にふれたい。

 (空港-ナイロビ間の道路から 1995.8.13)      (ヴィクトリア湖の上空をキガリへ向かう)

 ルワンダRWANDA  1995年8月

(1)
 私は今年(1995)8月の 6日から 13日までルワンダを訪れた。ルワンダは、昨年(1994)、フツ族と
ツチ族の部族間紛争*があり、 50万人**を超すといわれる大量虐殺が報じられていた。また、現在
110万人を超す人々が国外逃亡しており、その難民の帰還をめぐるトラブルや収容所での悲劇が報
じられていた。国外逃亡している旧政権もまきかえしを計っているといわれ、7月 16日の朝日新聞も
8月紛争再燃説の存在を報じていた(実際、私が訪れていたころも、UNAMIR「国連ルワンダ支援軍」
のミーティングではザイール***側の状況などから夜間の外出は見合わすようにと言われていたよう
である)。
 とにかく、アフリカといい、部族間紛争といい、現代世界の「悲劇」と「未開」の具現しているところの
ようにルワンダは語られていた。もちろん一方で、ルワンダの内戦を「部族」間の争いとすることには
問題があることは指摘されていた。それでは何があったのか。「部族」の対立という名目で、何があ
ったのか知りたいと思った。
 私は、高校で政治経済を担当しているが、現在のアフリカをどのように考えるべきなのか材料をも
たない。かつて、希望に満ちて、次々と独立国が誕生していたアフリカの 60年代があった。また、ア
ジア・アフリカ問題として問題と躍進を共有していたかのように語られていたのが、現在多くの報道は
躍進するアジアに対して飢えと貧困と戦争と病気のアフリカである。教科書も躍進アジアを取り扱う
スペースに比べ、アフリカについては、飢えにくるしむ子供の写真を載せるだけで手をこまねいてい
る。自分が直接見るというのも考える準備のひとつの方法と考えた。

*当時の新聞やテレビは「部族紛争」と報道していた。
**当時の報道による。現在の教科書例えば『詳説世界史改訂版』(山川出版社、2012)372頁では「犠牲者 100万人以上
といわれる」としている。

***現在コンゴ民主共和国

(2)
 ルワンダには首都キガリには、ナイロビから空路を入るのが便利であるが、便は日曜日だけだっ
た。ナイロビの人もルワンダは「良くないところ」(戦争で危ないところ)と言っている。機内は国連や
NGO 関係者と少数のビジネスのために向かう人たちだけである。
 キガリの飛行場は新しくてきれいであるが閑散としていて新しく出来た村の飛行場のようである。
国際空港には普通あると思っている銀行も売店もない(尤も離陸側には土産物の店があった)。キ
ガリの町も郊外と思っていたのが既に中心部だったというぐらいの丘にある町である。町の閑散とし
た印象は、アフリカ第3の人口120万の大都市ナイロビとの落差にもよるが、到着した日が日曜日だ
ったということにもよる。
 月曜日には、それなりの賑わいを見せる。驚いたのは町を行き来する人々の姿がすばらしいこと
である。姿も顔も本当にきれいな人が目に付く。女性の通りを行く姿はまるでファッションショーのよう
である。さらに、楽しくなるのは、その人たちが互いにあいさつを交わし合うことである。未知の人に
対しても Bon jour! Çava?とやってくる。自動小銃を肩にさげた兵士も知らない顔をする者にはまず
お目にかからない。兵士の数以外には、報道などによって抱かされがちな「悲惨」「暗い」「未開」の
地を連想させるものは何もない。その月曜日の朝、銀行への道を教えてくれたのがジャンヴィエさん
だった。

(オフィスでのジャンヴィエさん)

 彼女の両親が去年のカヅーハのジェノサイドで殺されたと聞かされた時だけは新聞などに言われ
ているルワンダだった。しかし、元教師の彼女は商社の秘書の仕事に取り組んでいる若くて知的で
賢明な明るい女性である。

(3)
 現地NGOのARBEF(Association Rwandaise pour le Bien-Etre Familial)の人の話では、都市の
機能は回復したが、農村の人口減少はまだ回復しないという。フツ系の住民が国外へ逃げたままな
ので、農村人口の減ったままというのは問題なのである。だから現政府も国外難民の帰国は必要と
考えている。問題は逃亡の原因がジェノサイドの報復を恐れているということである。ジェノサイドを
日本では、むしろ単に大虐殺と訳している。しかし、ジェノサイドというとき、そこには民族あるいは種
族の絶滅を意図した大虐殺を意味する。日本で単に大虐殺と報道されていた時、新聞などで部族間
紛争と書かれていた。これでは、「未開」社会の事件のように事件のように受け取られかねない。報
道には、ジェノサイドという言葉からくる偏見を避ける意図も窺える。しかし、旧政府側は明らかにラ
ジオ・ミリコリンで「ツチの殲滅(せんめつ) 」を呼びかけている(『アフリカレポート』№ 20竹内信一論
文)ように、自分たちの政治思想あるいは政治主張を展開できないところから「部族」殲滅スローガ
ンにたよったものである。去年発生し、今も余韻が残っているのは、単なる「虐殺」ではなく「ジェノサ
イド」である。しかも「現代社会の権力争いの政治的表現」として、「部族」が使われているのである。
旧政府軍対 RPF(ルワンダ愛国戦線)の対立がフツとツチの対立に置き換えられている。行われた
のは、煽動の言葉からしてジェノサイドである。
 この旧政府側のジェノサイドに対して、 RPFと現政府側は、限りなき部族的復讐になることを厳重
に警戒している。 1983年の RPF結成時からの目標が「国民統合・融和・民主主義・複数政党制・人
権尊重」であり、今回の内戦の処理については RPFの今までの活動の成果が問われることになる。
現政府の将来への見通しをみせることにもなる。とはいえ、人口 700万人のうちの 50万人*が殺さ
れ、 100万人を越える国外逃亡者を出しているなかで、旧政府勢力も決して武装解除されていると
言えない状況は厳しいものがある。私がRPFの兵士たちにうけた表現しにくい感銘は、そのような状
況下の緊張から来るものであったのだろう。


                              (このバス・ターミナルも、2年後には市内専用になっていた)
*(1)**参照。

(4)
 ARBEFの人のアドバイスなどから、ンタマーラ、ニャロブイエ、それにブターレを訪ねていくことにし
た。よく報道されるンタマーラは、キガリから比較的近いところである。ニャマタというところまでは、ミ
ニバス*(ルワンダの主要交通機関で全て日本製中古のバンかワゴン)で行くことができるが、それ
からは幹線からはずれており、歩いていくにしても道はよくわからないだろうという。それに、許可証
を持っていないだろうと言われる。
 * この日本製中古のミニバスでよくかかっていた音楽がJambo Bwanaで、今でも、You Tubeで聞くことができる。当時
  は、CDではなく、まだカセットテープを突っ込んでいた。


 ンタマーラ行きは出発が遅かったのでうまくいけなかったと思い、ニャロブイエへ行くためには、キ
ガリを早朝に出発した。あと 30kmのニャカランビより先へは進めなかった。午後 1時ごろから、自転
車やオートバイ、それにトラックの法外なな提案を断っているうちに 6時になってしまった。 UNと大書
したトラックが走っているのをみるのは何となくいやだったが、自分が金持ちの旅行者として自転車
に法外な金を払うのもいやだった。できるだけ普通の市民あるいは普通の旅行者?として行けると
ころまで行きたかった。しかしニャカランビでは泊まるところが無く、ホテルがあるというキブンゴまで
歩き始めた。虫の声を聞きながら、月明かりの舗装道路を歩き始めた。
 自分の家に帰る人に出会う。 Bon soire!とここでも人々はなごやかである。ところが、キブンゴまで
40km以上あるという。ということは、休み無く歩いても 10時間かかることに気がついた。かといって、
他に方法がない。月も隠れ、ほとんど闇のなかを歩いていたら、ルポ中の兵士 5人に出会った。歩
いて行くのは途方もないことなので、とにかく元にもどってレストランにでも入って休もうということにな
った。後はなにか都合つけてやろうというのである。ランプの灯りのもとで 10人ほどの兵士と話し合
った。結局レストランが跳ねたあとは、イノセント氏が泊めてくれることになった。
 マットレスはいらないかと聞く。マットレスを敷くのはもてなしのひとつらしいが、これで十分だと断っ
た。手織りのシーツだった。釘と針金でとめるドアを開けて屋外にある便所も教えてもらった。外はま
た月が出て、何ともいえない静かな景色だった。イノセント氏はスワヒリ語の勉強を勧めてくれた。こ
の高原の朝は空気が澄んでいて、バナナ畑が広がり立派な牛がとうもろこしを食べている。どこに
住んでいるのか知らないが子供たちがポリタンクに水を入れて帰っていく。一種の楽園にいるような
感慨に浸っていると PRFの兵士が上半身裸になって朝の日課の駆け足行進してやって来る。村の
人も頼もしそうに見ている。
 ニャカラムビの近くのUNHCR(国連高等弁務官事務所)の仕事をしている NGOの AEF(アフリカ教
育基金の会)のキャンプを訪ねた。スタッフの人にキガリの都市機能の回復ぶりに感心していると言
うと、「ルワンダの人は能力もあるし、立派ですよ」と言う。 NGOに対しても本当にどこまで、何をやる
のだと審査が厳しいということである。国によっては、とにかくやってきてください、というところもある
そうである。このキャンプは国外逃亡した人が帰ってくる時、もとの場所に帰るまでにとどまるところ
である。前に所持していた家や土地についてのトラブルなど課題は多くあるということである。このス
タッフの人もニャロブイエには行ったことがないということであった。

 ルワンダ西部ギゼニ( 2年後は危険地域で行けなかった)              ニャカランビの朝
 の子供たち(トップ・ページと同じ写真)


(5)
 ザイールのゴマのキャンプやブターレへも訪れたいと思っていたので、時間的余裕がなくなってき
た。バスに乗って移動中に見るかぎり、農業従事者の大量逃亡にもかかわらず荒廃した風景はみら
れない。
 ルワンダの文化都市で大学の町でもあるブターレでは破壊された建物が目についた。「ジェノサイ
ドだ」とミニバスの隣に座っていた人が教えてくれた。

    ブターレの町の一角                    ニャカランビの朝の水汲み
 「これもジェノサイドだ」と違う建物を示す。しかし、大学の中には、パスポートだけでは入れてもらえ
なかった。けれどもブターレの町の破壊と復興の活気を感じて回った。許可証をとろうとして世話を
やいてくれたのがたまたま通りかかった法学部一回生のカフマ・フレッド君だった。彼は大柄ではな
いが、堂々として非常に知的で心配りしてくれる若者だった。
 私はルワンダがジェノサイドの裁判をどのように行うかということがルワンダの再建に重要な意味
を持つということを思いもし聞きもしていたので、カフマ・フレッド君のような法学部学生の存在は、ル
ワンダがこの困難な課題を必ず克服すると私に確信させた。

(6)

  アミン君とキガリで

 その後の 9月 7日、日本のテレビ局 ABCの番組「ニュース・ステーション」が、ルワンダ特集、世界
最悪の刑務所としてギタラマの刑務所とンタマーラの虐殺現場の写真を流した。司法大臣のインタビ
ューは現場と展望についての重要な発言であるのに何のフォローもなされなかった。ただ「フリー・ジ
ャーナリスト」と称する男が「暗いですね」と顔をしかめて言った。さらに「ルワンダは混迷し全く見通し
が立たない」という意味のことを付け加えていた。
 新政府がなぜ取材を許可したのか、この「ジャーナリスト」は理解できなかったか、あるいは理解し
た上で悪宣伝しているのか。
 前に触れたが人口700万人のあまりの国で 50万( 100万)人の人が殺されたことに対して部族的
復讐ではなくて裁判を行おうとしているのである。この裁判こそがルワンダの再建に重要な意味も持
っているのである。当然に未決監獄は不足している。しかし、この国の再建への意欲はこの未決の
監獄に現れていると言って良い。皮肉なことにこの困難な課題を克服する決意を表す未決監獄が、
ルワンダの悪印象を植え付ける材料にされているのである。
 ルワンダを果てしなき悲劇の国とする新聞連載では、「裁判のないまま刑務所にいれられている」
と「誤報」している。未決監獄つまり拘置所として刑務所を使用しているのである。ルワンダの現状と
課題の大きさに全く気づいていないということになる。さらに問題は、「暗い」「惨めな」「恐ろしい」アフ
リカ像といった偏見を増幅していることである。旧政府側が「ツチの殲滅」を呼びかけたのは、未開
社会の部族争いとしてではなく、現代社会、特に世界の東西の枠組みの毀れた時代は、世界中の
政治的思考は混迷にある。そのようなとき、民族とか部族とか、ときには宗教といった、近代が越え
てきた筈のものによりかかるときがある。民族などへの寄りかかりは、現代にこそ歴史にもみなかっ
た激しさで表れることがある。ルワンダの悲劇もそれであるが、政治的混迷を来たしているのは、そ
の他の国も日本も同様である。しかし、ルワンダの人は最もラジカルに直面し対決している。つまり「
部族」などによりかかる政治を越える政治活動を現実に展開しているのである。ルワンダやアフリカ
を「悲惨」「内戦」「飢え」や「病気」で語り、同情と哀れみに訴えることは、アフリカやルワンダに対す
る偏見を増長していることに思いをいたすべきなのである。
 さらに政治理念や思想を構築できず、経済的利害のほか政治的にはいわば惰性で動いているの
に過ぎない現状であれば、ともすれば、民族や宗教に足元をすくわれかねない状況の日本のとって
も、いわば先行する問題をルワンダは指示しているといってもよい。
 RPFによって治安はなんとか維持されているが、確かにルワンダは兵士の再教育も含めて多くの
課題を持っている。
 ピエール・プラデルバンは農業問題についてであるが、『アフリカに聞き入る』(犬飼一郎訳、メコン
社1995)において、必要なのは援助ではなく新のパートナーシップだと述べている。問題は、私たち
が真のパートナーたり得るかということである。(1995年11月)

(補足)アフリカ平和再建委員会機関誌『アマホロ』vol9に寄稿したものです。その後、書き直して神戸山手女子中・高等
 学校『けんしゅう』 23に掲載しました。それをこの度、再転載しました。(2012/12/24)